カテゴリー別
最近の記事
Google Adsence
月別で読む
サイト内検索


Powered by
Movable Type 2.661

★感想やメッセージは「コメント」をクリックすれば書けますよ★(゚∀゚)

2004年11月28日

漫画家・鈴木光明先生、逝去

 1952年、16歳でデビューし、戦後のストーリーマンガ界黎明期に少年、少女漫画双方で活躍、後年は後進の育成に多大なる助力をされ、少女漫画界に沢山の逸材を送りだした鈴木光明先生が、平成16年11月14日早朝、逝去されました。

今、奥様よりの葉書を読み、呆然としている状態です。

先生は1976年から16年間、東京の青山等で「少女漫画教室」を主宰なさっていたのですが、不肖、わたくしもこの教室の生徒でありまして、漫画創作の基礎に関しては、すべて先生に指南していただきました。(ちなみに、この頃の先生の著書(少女漫画入門シリーズ3作)は翻訳され、いまだにアジア各国で売られています)

現在、確定申告書類に漫画家と書いている私ですが、純粋に創作のみを日々の糧に出来ていない身でありますので、なんとかもう少し肩書きに自信が持てる様になったら、一度御挨拶に伺わねばと思っていたのですが、それより先に天に向かわれてしまいました。

…残念です。
「孝行、したい時に…」という言う言葉がふと浮かびました。
もっと早く御挨拶に行けばよかった。先生、不義理な弟子でゴメンなさい。


先生の戒名は「月の光を浴びて、阿弥陀仏になる者」という意味を持つそうです。
月を見る度、先生のコトを思い出しそうです。
そういえば、夜行性の人種が多いこの職種、太陽より月を見る機会のほうが多いですよね。

日本の漫画もアニメも、国境をこえる事が多くなりました。
現在、需要は拡大傾向ですが、モノがモノ故、一寸先は闇な所も多々あります。
どうか、我々が夜道で迷走するコト無い様、月光で夜道を照らし、見守っていて下さいまし。


創作のコト以外で思い出すのは、いつもタートルネックにジャケット、そしてベレー帽という、まさに「先生」という出立ち。そしてまだ現役の頃、仲間(作家)同士でつるんでいた時の思い出話とか、いろいろ聞かせていただいた事かなぁ。
(なかでも、赤塚(不二夫)先生のエピソードとかは、まだアタマに残っています(笑))

ふと今、先生が目の前に現れたら、私になんておっしゃるだろうかと考えてみました。
多分、「(本名)、もっと沢山書かなければ、うまくなりませんよ」…じゃないかなぁ。
ごもっともです。もうちょっと頑張らなきゃなぁ。


手塚先生とも親交のあった方ですから、今頃、向こうで再会されているんでしょうかね。

御冥福をお祈りします。合掌。


鈴木光明先生の簡単なプロフィール

作品リスト等があるファンサイト

Posted by くおんみどり at 04:02 | コメント (0) | トラックバック

2002年11月12日

大川七瀬さん(CLAMP)の巻

あやや、第二回目にしてもう看板に偽りありなのですが、ここにはアシに行っていません。アシスタントは使わないと言う方針らしいので、あなたの周りに「CLAMPのアシスタントに行った」とほざく人が現われたら、ホラ吹きさんの可能性が大です。お気を付けあそばせざ~ます(笑)。

まあ、「出会った人」という事では偽りではないので支障無いと思いますが、でも実際は本人を目の前にしたのは一回だけ。いやネット上では一時期、毎晩の様にお会いしてたのですが…。
だからそれだけでこれを書いてしまうのは危険な事かも知れません。浅はかなのかも知れません…でもいーや、書いてしまおう。
ちゅーわけで、そこんとこの認識、4649(横浜銀蠅・風)。

私のネット歴はそんなに長くはありませんが(*1)、私のネット始めはNiftyServeで、そりゃーもう色々と楽しんでいました。
NiftyServeのなかにはマンガとアニメを扱っているフォーラムがあり、そこの中のRTと呼ばれる「チャット」は素人もプロの方(*2)も普通の方もちょっと変な方も沢山集っていて、そりゃあ楽しい場でした。
そこに彼女(*3)もいて、みんなで毎夜のごとくバカっ話をしていたわけです(*4)。

最初は正体を知らないで話していたのですが、次第に「CLAMPの大川さん」というのが判明。だからといって、扱いや言葉遣いが変わることはありませんでした。
彼女もそれは望んでいなかっただろうし、自分は自分で、当時もうマンガ業界に片足突っ込んでいたわけだし…。
とりわけ「CLAMP萌え萌え~っ、く~っ!(はーと)」と握りこぶし握る級ファンではないので「(一応)同じ業界にいるすごい人だが、楽しい人」くらいの感じで、ネット上のおつき合いをさせていただきました。

お互い段々こなれてきて、レギュラーメンバーが集まってくると、ボケとツッコミができる様になったり、甘えたりふざけたり、非常にノリの良いチャットで、一日一回深夜にこのチャットをするのが、何よりの楽しみになっていました。

そうこうしているうちに、(たしか)みんなでお茶を飲もうという話になり、(たしか)CLAMPのイベントがあった某年某日、新宿の東口にある喫茶店でみんなでお茶しました。総勢5,6人くらいだったかな?短い時間でしたが、チャットと変わらぬ会話をして、たのしい宴は終りました。

実物に会うまでは「楽しいおねーちゃん」という印象でしたが、会った後は「ファンキーなおねーちゃん」にグレードアップ(笑)。
とても楽しい人なんです。でも周りへの気遣いを忘れず、終始「楽しい場にしよう」という気持ちが感じられ、すごく好印象をもったのを覚えています(*5)。

「ああ、ええ人だ」というのが自分的結論ですね。

その後、彼女を含めたCLAMPのメンバー達はNiftyServeから総撤退する事になります。
理由は悲しい事に、彼女達が楽しんでいたはずのネット上(NiftyServe内含む)にいた、「ある人間たち」のせいでした。
ひどい噂や、いわゆる騙り、誹謗中傷に心を痛めた為です。
まあ、泣いちゃうほどの仕打ちを受けたら、誰だってそうするでしょう。ひどい話です。
実際、あの時の事を思い出すと、私もはらわた煮えくり返ります。
すごく楽しい場だったのに、極一部のおバカ供のお陰で、そのコミュニティが崩されてしまったのだから。
さらに、彼女(達)は、私が少しNiftyServeを留守にしていた時期(*6)にさよならをしてしまったらしいのです。
さよならも言えず、すごく寂しかった事を覚えています(*7)。るるる~っ(;_;)。

売れっ子にはとかく、いやーんなうわさ話が多いものです。
根っこも葉っぱも茎も無い噂は、実際私もいろいろ聞いた事あるしね。
特に彼女の場合は集団の中での役割上、ひどい事を言われている数は他のメンバーより多いでしょう(多分)。

冒頭にも書きましたが、おつき合いはネット上が主、後にも先にも実物に会ったのは一度だけ。
そんな私が書くのはおこがましいし、人物像を断定するのは間違いかも知れません。
ですが、あえて言います。言っちゃいます。

業界/ファンたちのなかに流れている、悪い噂達は信じられるものが全然ありません。
大半はやっかみ、ひがみが変形し、伝搬され、更に変形した場合が多い様に思われます。
ファンの人は惑わされない様に気を付けましょうね。

…私、甘いですか?浅はかかなぁ?…でもいいや、私は彼女好きだよ。いい人だと思うもん。
私のファースト・インプレッションって結構当るんですよ、これでも(笑)。
まー、誰に否定されよーと、自分で自分の感(勘)を結構信じてるとこあるので、異義反論を唱える人がいよーと、私はこれでいーのだっ(大槻ケンヂ・風)と、言い放ってしまおう。うん。


今ではネット上でも会う機会は無に等しいですが、活躍のほどはテレビ(アニメ)や雑誌で見ていますので、安心してますが、元気でいるでしょうか?
ただでさえ偏食の女王(当時。今はどうか分らない(^^;)っぷりが見事だった彼女。
栄養ちゃんと取ってるかな?身体だけは気を付けて欲しいものです。
ああ、またチャットでふざけたいなぁ(笑)。

:::::::::::::::::::::::::::::::

(*1)始めた頃は、「ネット」といえば、国内の主流はまだ「パソコン通信」といわれるもので、NiftyServe(現@Nifty)とPC-VAN(現BIGLOBE)が二大大手通信業者のほぼ寡占状態。
そうこうしているうちに「インターネット」という物がクローズアップされ始め「MOSAIC使いたいなあ」なんて思っていたものでした。
電話代5万円とかあったなあ。今のネット接続費用からは考えられませんね…って、私ほんとにネット歴、長くないのかにゃ?(笑)

(*2)プロの方はほんとに多かった。絶対匿名にしていた人を考慮すると、かなりの数いたのではなかろーか?

(*3)彼女もそうですが、大半の方は実際の名前で参加せず、いわゆる「ハンドルネーム」でお互いを認識していた状態です。私もそう。
ほかのCLAMPのメンバーも時々チャットに参加していたそうです。

(*4)バカっ話ばっかり、というわけではないです。真面目な話もありました(^_^;)。
相談事とかも持ちかけちゃったりしたこともあったなぁ(遠い目)。

(*5)今だから言えますが、「キャラクター&喋り方」だけが高校時代の同級生だった人に激似だったので、解散後少しおセンチになったとゆー笑い話付き。なんてこった(爆笑)。

(*6)多分、課金が払えなくて、サービス停止の憂き目にあっていた最中と思われる。なんともはや(^_^;)。

(*7)ある年の彼女の誕生日に、当時凝っていたテディベア作り(今も時間があったらやりたい!)を生かして、くまをあげた事があります。元気かな?
「名前付けたよ」ってメールをくれたので、きっと大切にしてもらっていることでしょう。冥利冥利。

Posted by くおんみどり at 22:23 | コメント (0) | トラックバック

2002年11月11日

森園みるく先生の巻

第1回目はレディースコミック界の女王((^_^;)?)「森園みるく」さんです。

一時期、お仕事をさせていただいた時期があります。
森園先生と言えば、今でこそ「官能的なレディースコミック」で有名ですが、私の初めてみた先生のマンガはラブコメでしたし、アシをしていた時には、えっちはあれどコメディ色も強いものも書いておられました。
今の路線に移っていこうとしていた、ちょうど境の時期だったのでしょう。

あの頃先生は、西武線沿線の某駅周辺に自宅兼お仕事場をかまえ(*1)、めちゃめちゃ級のハイペースで作品を描かれていました。
今はそんなに量産はなさっていない様ですが、当時は月に何本抱えているのだろう?と思うくらい量産状態。
「先生…壊れやしないのかなぁ?」とハラハラしながら思ったほどです。

アシは平均4~5人体勢。皆優秀な人ばかり(*2)なので、効率良く(作業が)回転していましたねぇ。

数年前、最近の森園先生しか知らない人(*3)から、「先生って、ちょっと怖そうじゃない?」という感想を聞いた事があります。
まあ、メディアに顔出しする時なんかは、ダーク系の優雅な服を着こなし、ちょっと退廃的かつ耽美的な(?)な雰囲気を醸し出し、作風とのトータルコーディネートばっちり!みたいな感じですから、そう思ってしまうかも知れませんが、いやいや、そんな事はないんです。

仕事には厳しいけど、すごく気さくで優しく、とてもいい方。
それが証拠に、スケジュール的に仕事はすごくきつかったけど、「ここにはもう行きたくねーっ!」なんて、1回も思いませんでしたもの。
当時は音楽の話(*4)や業界のうわさ話などで仕事場は盛り上がっていました(*5)。
それに対して、先生のノリも非常によかった事を覚えています。
メディアに出る時みたいな格好で作品は描きませんけど、普段着でも目一杯集中しながら作品を描かれている先生は、とてもカッコよかったのです。うん(^_^)。

漫画家に限らず、創造する事が仕事の人は、あまねくこういう勘違いをされる事が多いのですが、作者の人物像を作品だけで想像するのはかなり無謀な事です。
暗い作品ばかり描くけど、本人はすごく明るかったり、その反対な事もままあります。(勿論、同一な方もいらっしゃいますが(笑)。)
恐らく、森園先生はそういう意味で一番勘違いされやすい方かも知れません。
それ的要素はきっとあるけれど、それらが全てではない。
作家という生き物は、実に捉えにくい人種なのかも知れません(*6)。

数年前、自分の仕事の関係で森園家のアシにあまり行かれなくなり、数年経った後の某出版社のパーティで先生をお見かけしたので挨拶しました。
もう既に今の路線で成功なさっていた時だったのですが、ちゃんと覚えて下さったのが嬉しかった。あの時撮ったポラロイド写真(*7)、いまだに大切にしてあります。
これからもガンガン活躍して欲しいなあ…。

:::::::::::::::::::::::::::::::

(*1)仕事場周辺にあった、スーパーは当時としてはかなり先進的だったのではなかろうか?大きな建物の中に異業種店舗がいろいろあって、それらの店の品を一括して宅配してくれる店だった。
例えば松屋の牛丼弁当にコピー用紙、コーラのペットボトル、頭痛薬にシャープペンの芯などを、いっぺんに宅配してくれるスーパーなのです。
うちの近所にも欲しーっ(切実)。

(*2)無論、私を除いての話である。俺様って無能(笑)。

(*3)メディア媒体からの印象のみ、と思われる。

(*4)先生はインディーズ系も大好きだったみたいで、そこで聞いた「空手バカボン(有頂天のケラと大槻ケンヂのユニット。ナゴムレコード)」(?)のレコードに入っていた。「ロックってゆーのはなー!ラ・ムーなんだよーっっ!!」という熱い語りの入るレコードがいまだに耳から離れません。あの音盤ってCDになってるの?誰か教えてー!

(*5)漁師が網引っ張る時の、舟歌的なもんなのでしょうかねえ。
修羅場のうわさ話って。もしくはユンケルのかわり...みたいな(^_^;)。

(*6)作家はそれ故、創造する仕事ができると言えなくもないな。いや、まぢな話。

(*7)たいていのパーティ会場には、フジやらコダックから派遣された、ポラロイド写真サービスのおねーちゃんズがいて、記念に会場で写真を撮ってくれるのだ。

Posted by くおんみどり at 22:19 | コメント (0) | トラックバック

2002年11月10日

役立たずアシのお手伝い放浪記

いやはや実際の話、コラムページもネタがなければ続きません。
最近ネタ不足なんですよね(泣)。
ですので、コラムの題材を少し広げようかな?と思います。

私は現在漫画家/イラストレーターとして活動していますが、以前はフリーのアシとして長々と過ごしてきました。
(現在も少しですがアシスタント《以下、アシと記述》はしていますが…ほとんど縁故がある所しかやっていないとゆー(^_^;)
といっても、才能的にはへっぽこアシスタントで、ほとんど穀潰し状態。
ほんにしょーもないやつなのですが、縁あっていろんな先生の所にお呼ばれに預かり、お仕事をさせていただきました。

そういう場では先生の他にも編集者、他のアシの人等にも会います。
アシをしに行かなくても、アシが縁でお会いした先生や周辺の方々等、「まんが」に関わる様々な人達とお会いしてきました。
その中でも尊敬できる人、普通の人、最っ低ぇーな人(笑)とこれもまた様々。
ええ話もあるし、マンガみたいな話、酷い話もあるんですわ。
それらを時々書いていこうと思います。

あ、現在形でおつき合いしている方の事についてはあまり書かないかも知れません。
だってみられたら恥ずかしいし、やばいかもしれないじゃん(爆笑)。

まあ、芸風としては「徹子の部屋」的な時もあれば、「北野誠の世紀の雑談(TBSラジオ)」的になるかの、二極化が激しいコーナーとなるでしょう。

と言うわけで乞う御期待。

…いや、あんまり過大期待すんな、いや、まぢで(^_^;)。<小市民な俺様

Posted by くおんみどり at 22:15 | コメント (0) | トラックバック